まぐまぐ!(メルマガ配信サービス)に最初のメルマガを掲載した日は11月1日。
そしてメルマガの実質第1号を配信した昨日は11月11日。
1111は新しいことをスタートするにはなんだか良さげな数字であると同時に、私にとってちょっと特別な意味を持つ、ある人の誕生日でもあります。
この方は2000年2月22日に乳癌で亡くなられた方で、私は生前のこの方にお会いしたことはないのですが、昨年やはり私が乳癌に関係のあることで新しいことをスタートした日が、後になって気づいたのですが、たまたま2月22日でした。
その日に始めたことは、その後の私を大きく変えていくきっかけにつながりました。
それからもう一人別の、乳癌で亡くなった大事な友人は「ゾロメ好き」でした。そして彼女の結婚記念日が2月22日でした。
だから私は、ふと時計に目をやると22:22だったり(しょっちゅうあります)、1並びや2並びの数字を目にすると、その人たちに「私の分もがんばって。後輩患者達のために努力してね」と叱咤激励されている気がしてしまうのです。
「エンジェル・ナンバー―数字は天使のメッセージ」
こんな本もあるように、数字には何かメッセージがこめられているのかもしれません。
2007年11月12日
ゾロ目のメッセージ
posted by HANA at 11:20| 乳がんと私とインターネット
2007年11月11日
グッドニュース
ホームページに乳がん関連のニュースを掲載するようになって3年。
最初は自分が新聞で読んだ記事で、これは役に立つ、乳がん闘病中の人に知って欲しいと思うものを時々ピックアップしているだけでしたが、昨年くらいからは、積極的に情報収集して掲載するようになりました。現在はほぼ週1回の頻度で更新しています。
最近では記事の内容は、あえてあまり選別はせずに、少しでも乳がんに関係ある記事であれば載せるようにしているので、リストアップする記事は結構な数になります。
例えば「アメリカで行われた臨床試験で●●●という薬が●%の人に効果があった」などというニュースは、日本で今現在闘病中の患者にはまだ「遠い」ニュースなのかもしれません。海外で開発された新薬が、日本でも認可されるのは、まだまだ先のことになるかもしれないからです。
そういうニュースを羅列することに、意味があるのだろうか、と迷ったこともありましたが、今は、これで良いのだと思うようになりました。
それはなぜかというと、一つ一つのニュースは今の自分とは直接関係がないとしても、薬や治療法や、国の政策など患者を支援する体制や、さまざまのことが、とにかく少しづつでも「良い方向へ向っている」と感じ取ることができれば、そこに希望をみいだせるのではないかと思うからです。
世界中で癌を撲滅するための研究は日夜続けられている。
毎日「良いニュース」が生まれている。
誰よりも私自身が、そう思いながらニュースを更新しているのです。
今月から始めたメールマガジンも、このことの延長線上にあります。
時にはあまり良くないニュースや厳しい現実を垣間見ることがあったとしても、良いニュースのほうがずっと多くて、全体的には「グッドニュース!」と思って受け取っていただければいいな思っています(笑)
メールマガジン「乳がんトッピックス」の購読お申し込みは
↓から。
http://www.mag2.com/m/0000250541.html
登録も解除もいつでも自由にできますので、お気軽にお申し込みください。
#結局、メルマガのPRでした。えへへ(^^)
最初は自分が新聞で読んだ記事で、これは役に立つ、乳がん闘病中の人に知って欲しいと思うものを時々ピックアップしているだけでしたが、昨年くらいからは、積極的に情報収集して掲載するようになりました。現在はほぼ週1回の頻度で更新しています。
最近では記事の内容は、あえてあまり選別はせずに、少しでも乳がんに関係ある記事であれば載せるようにしているので、リストアップする記事は結構な数になります。
例えば「アメリカで行われた臨床試験で●●●という薬が●%の人に効果があった」などというニュースは、日本で今現在闘病中の患者にはまだ「遠い」ニュースなのかもしれません。海外で開発された新薬が、日本でも認可されるのは、まだまだ先のことになるかもしれないからです。
そういうニュースを羅列することに、意味があるのだろうか、と迷ったこともありましたが、今は、これで良いのだと思うようになりました。
それはなぜかというと、一つ一つのニュースは今の自分とは直接関係がないとしても、薬や治療法や、国の政策など患者を支援する体制や、さまざまのことが、とにかく少しづつでも「良い方向へ向っている」と感じ取ることができれば、そこに希望をみいだせるのではないかと思うからです。
世界中で癌を撲滅するための研究は日夜続けられている。
毎日「良いニュース」が生まれている。
誰よりも私自身が、そう思いながらニュースを更新しているのです。
今月から始めたメールマガジンも、このことの延長線上にあります。
時にはあまり良くないニュースや厳しい現実を垣間見ることがあったとしても、良いニュースのほうがずっと多くて、全体的には「グッドニュース!」と思って受け取っていただければいいな思っています(笑)
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posted by HANA at 11:00| 乳がんと私とインターネット
2007年11月10日
がん情報のさがし方
先日(11/3)、国立がんセンターがん対策情報センター主催による、「がん情報のさがし方」という講演会に行ってきました。この内容は、がん情報サービスのホームページにまとめられて掲載されていますので、関心のある方は
↓そちらをご参照いただくとして、、、
私の印象に残ったことを、ちょっとお話いたします。
まず、がん情報には「自分が知りたい情報」と「知っておくべき情報」がある、ということです。情報を集めようとするとき、知りたい情報だけ探していても、もしかすると本当は気がついていない自分にとって大切な情報を見落としてしまっている場合がある。
また、情報には「ハード情報」(答えが明確なもの。治療ガイドラインなど。)と「ソフト情報」(答えがはっきりしないもの。例えば「落ち込んだときどうしたらいいか」とかとか)がある。情報発信元には、それぞれ得意分野があるので、必要に応じてそれを使い分けるといい、ということ。講師の一人、天野さん(ご自身の闘病体験をもとにNPO法人グループ・ネクサスを立ちあげ、患者の支援活動を行っている方)が強調されていたのは『がん情報のほとんどはがん患者にとって知るのがつらい情報であることは確かだ。しかし、「情報を知ることによる怖さ」と「情報を知らないことによる怖さ」があり、知らないことによる損失は大きい』、ということでした。
だとすれば、乳がん掲示板の良さというのは、上記のような「知りたい情報」も「知っておくべき情報」も、ハード情報もソフト情報も、いろんな立場や状況や考えの人の話を、流れの中で自然に目にすることかもしれません。
例えば掲示板を細分化し「治療情報だけの掲示板」「気軽なおしゃべりだけの掲示板」と分けることも考えられますが、あえてそれをせず、楽しい話題や趣味の話題など日常の雑談も織り交ぜながら、そのなかでしっかり情報交換も励ましあいも人生相談もできることが、この掲示板の良さであり、他の情報源からは得がたいメリットなのだと改めて認識しました。
#写真は、国がんの帰りにぶらぶらと歩いた汐留あたり。
#「光の回廊」って感じで綺麗でした。
メルマガ「乳がんトピックス」明日、第二号を配信予定です。
↓ご購読お申し込みはこちらから
http://www.mag2.com/m/0000250541.html
posted by HANA at 12:05| 乳がんと私とインターネット
2007年02月13日
ヒバクシャ
9日、ポレポレ東中野(マイナーなドキュメンタリー映画ばっかりやっている小さな映画館)で、鎌仲ひとみ監督の「ヒバクシャ〜世界の終わりに」と「六ヶ所村ラプソディ」を見た。アンコール上映の最終日の最終回。2本続けてはキツいかなと、ためらいもあったのだが、やっぱり見といてよかった〜!!
2本を通しで見た直後の感慨を一言でまとめるなら「もはや地球上の人間はすべて“ヒバクシャ”と言っても過言ではないのかもしれない」ということだった。
私自身が乳がん体験者であるゆえに、特にインパクトがあったのは、「ヒバクシャ」の中で肥田先生(広島で被爆した医師)が日本の過去数十年のデータから乳癌による死亡者数の推移のグラフを作ってみせるところ。折れ線グラフは1996年に突然激しく上昇する。なにせ私が乳癌と診断されたのは1996年。ぎょっとする。
遺伝子学的(だったかな?)に見て、何か特別な原因がなければそのように急激な変化があらわれることはなく、また何かが起こってから変化が現れるには10年程度の時間を要するという。そして1996年の10年前1986年に何があったかというとチェルノブイリの原発事故。大量の放射性物質が大気中に放出されたのだ。
だからといって「自分の乳癌がチェルノブイリのせいだったんだ」などと思ってしまうほど短絡的思考ではないが、がん患者が増えている原因の1つとして、このことが関係ないとは言い切れないのではないような気もする。一般的には「食事の欧米化」などが原因とか言われているけど、それだって推測に過ぎないわけだし。
2本の映画とも、声高に何かを訴えるような内容ではない。ただ淡々と、周辺の人々の声や姿を伝える。問いもないし答えもない。そもそも、誰がいいとか悪いとか単純に割り切れる問題ではない。見た人がそれぞれに自分で考えていくのだろう。
日本では現在55基の原子力発電所が稼動しており、私達は日々その恩恵にあずかっている。
青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場は今年(2007年)8月にフル稼働を開始する予定だという。
ヒバクシャ〜世界の終わりに(公式HP)
http://www.g-gendai.co.jp/hibakusha/
六ヶ所村ラプソディ(公式HP)
http://www.rokkasho-rhapsody.com/
六ヶ所村ラプソディ・オフィシャルブログ
http://rokkasho.ameblo.jp/
2本を通しで見た直後の感慨を一言でまとめるなら「もはや地球上の人間はすべて“ヒバクシャ”と言っても過言ではないのかもしれない」ということだった。
私自身が乳がん体験者であるゆえに、特にインパクトがあったのは、「ヒバクシャ」の中で肥田先生(広島で被爆した医師)が日本の過去数十年のデータから乳癌による死亡者数の推移のグラフを作ってみせるところ。折れ線グラフは1996年に突然激しく上昇する。なにせ私が乳癌と診断されたのは1996年。ぎょっとする。
遺伝子学的(だったかな?)に見て、何か特別な原因がなければそのように急激な変化があらわれることはなく、また何かが起こってから変化が現れるには10年程度の時間を要するという。そして1996年の10年前1986年に何があったかというとチェルノブイリの原発事故。大量の放射性物質が大気中に放出されたのだ。
だからといって「自分の乳癌がチェルノブイリのせいだったんだ」などと思ってしまうほど短絡的思考ではないが、がん患者が増えている原因の1つとして、このことが関係ないとは言い切れないのではないような気もする。一般的には「食事の欧米化」などが原因とか言われているけど、それだって推測に過ぎないわけだし。
2本の映画とも、声高に何かを訴えるような内容ではない。ただ淡々と、周辺の人々の声や姿を伝える。問いもないし答えもない。そもそも、誰がいいとか悪いとか単純に割り切れる問題ではない。見た人がそれぞれに自分で考えていくのだろう。
日本では現在55基の原子力発電所が稼動しており、私達は日々その恩恵にあずかっている。
青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場は今年(2007年)8月にフル稼働を開始する予定だという。
ヒバクシャ〜世界の終わりに(公式HP)
http://www.g-gendai.co.jp/hibakusha/
六ヶ所村ラプソディ(公式HP)
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六ヶ所村ラプソディ・オフィシャルブログ
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posted by HANA at 12:43
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2006年09月30日
乳がん月間・10月
10月は「乳がん月間」ということで、ピンクリボン・キャンペーン等、乳がんに関する様々なイベント等が各地で行われます。なんだか年々、盛大になってくる感じがしますね。
乳がんの早期発見・早期治療の大切さをアピールし、乳がんで亡くなる人を減らそうというこの運動が盛んになっていくことは、とても良いことだと思います。全く乳がんに関心のない人の注目を集めるためには、ビルをピンクにライトアップすることも、イベントを開催することも、必要なんだろうとは思います。
しかし、マスコミなどで普段よりずっと「乳がん」という言葉に触れる機会が多くなるこの時期は、今、まさにリアルに乳がんと闘い、ナーバスになっている人にとっては、正直ちょっと「つらい月間」なのではないかと思ったりもしてしまうのです。
術後10年経過し、乳がんのサイトをずっと続けてきて、日頃、乳がんという言葉に触れない日はないくらい「慣れっこ」のはずの私でさえ、気分が落ち込み気味のときなどは、「乳がん」という言葉を見たくない!聞きたくない!と逃げ出したくなるようなことも実はよくあるのですから・・・。
それはそうと、乳がんホームページがスタートしたのは1996年10月2日でした。
その頃私は、乳がん月間を知りませんでしたが、偶然、10月がオープンとなったのでした。また、ピンクリボン運動も知りませんでしたが、ホームページのイメージカラーには、いつのまにかピンクになっていました。おかしなものですね。
そういう訳で、2006年10月2日。乳がんホームページは丸10年となります。
めでたいのか、めでたくないのか?(笑)
まあ、内容はともかく、根性なしの私が曲がりなりにも一つのことを10年続けてこれたというのは、結構すごいことかもと思います。
乳がんの早期発見・早期治療の大切さをアピールし、乳がんで亡くなる人を減らそうというこの運動が盛んになっていくことは、とても良いことだと思います。全く乳がんに関心のない人の注目を集めるためには、ビルをピンクにライトアップすることも、イベントを開催することも、必要なんだろうとは思います。
しかし、マスコミなどで普段よりずっと「乳がん」という言葉に触れる機会が多くなるこの時期は、今、まさにリアルに乳がんと闘い、ナーバスになっている人にとっては、正直ちょっと「つらい月間」なのではないかと思ったりもしてしまうのです。
術後10年経過し、乳がんのサイトをずっと続けてきて、日頃、乳がんという言葉に触れない日はないくらい「慣れっこ」のはずの私でさえ、気分が落ち込み気味のときなどは、「乳がん」という言葉を見たくない!聞きたくない!と逃げ出したくなるようなことも実はよくあるのですから・・・。
それはそうと、乳がんホームページがスタートしたのは1996年10月2日でした。
その頃私は、乳がん月間を知りませんでしたが、偶然、10月がオープンとなったのでした。また、ピンクリボン運動も知りませんでしたが、ホームページのイメージカラーには、いつのまにかピンクになっていました。おかしなものですね。
そういう訳で、2006年10月2日。乳がんホームページは丸10年となります。
めでたいのか、めでたくないのか?(笑)
まあ、内容はともかく、根性なしの私が曲がりなりにも一つのことを10年続けてこれたというのは、結構すごいことかもと思います。
posted by HANA at 01:25
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2006年08月31日
掲示板「関係あること」「関係ないこと」
テーマのある掲示板というのは、だいたい暗黙の了解で「そのテーマに関係の無いことを書いてはいけない」ということになってはいますが、その範囲を明確にすることってむつかしいと思います。「こんなこと書いていいのかな?」と迷うこともありますよね。
時々、ものすごく厳しい現実を抱えている方が、自分の胸のうちを「乳がん掲示板」に吐露していかれることがあります。
自分が乳がんになったことで引き起こされた様々の問題(恋人と別れた、職場をクビになった、経済的に苦しい、etc.)に直面している、または、様々な問題(親の介護、離婚してシングルマザー、他の病気や障害、etc.)を抱えた状況の中で追い討ちをかけるように乳がんであることが発覚したなどということ、それらの重圧に耐えかねて、「苦しくて苦しくて、もうどうしたらいいのかわからないんです」というようなことを切々と書かれていたりすることがあります。
本当にあまりにもひどい話や厳しい状況で、読んでいるだけで胸が苦しくなるほどの、つらいお話だったりすることもあります。
そして、たいていそういう書き込みは「乳がんと直接関係のない話を長々と書いてしまってごめんなさい」としめくくられています。
でも、そういう時、そういう時にこそ、私はこの掲示板をやっていてよかったなと思うのです。それは決して「関係ない」話なんかじゃないと思うのです。
「関係ないことを書くのは迷惑になる」という良識を持ちながらも、それでも書かずにはおれなかったその人の、どうしようもなく苦しい気持ち。家族や身近な友人にも、誰にも言えない胸のうちを、ここでなら思い切って吐き出してみよう、と思ってくれたのであれば、そういう場所を提供できてよかったと思うのです。私には何もできないけれど、なんと言って励ましたり助言したらいいのかもわからないけれど、その人が書くことで、ほんの少しでも気持ちが軽くなってくれたならいい。
私だけでなく、たぶん多くの方は、返信の書き込みをしなくても、心の底からその人に「がんばってね」「負けないでね!」ってエールを送っていると思います。自分に似たところ、重ねあわせる部分があれば、その気持ちの強さもひとしおでしょう。
インターネットの中は、相手の顔が見えないバーチャルな空間ですが、そんなとき、掲示板の上(中?)に、お互いがお互いの気持ちを支えあう暖かいエネルギーが流れているように実感します。
時々、ものすごく厳しい現実を抱えている方が、自分の胸のうちを「乳がん掲示板」に吐露していかれることがあります。
自分が乳がんになったことで引き起こされた様々の問題(恋人と別れた、職場をクビになった、経済的に苦しい、etc.)に直面している、または、様々な問題(親の介護、離婚してシングルマザー、他の病気や障害、etc.)を抱えた状況の中で追い討ちをかけるように乳がんであることが発覚したなどということ、それらの重圧に耐えかねて、「苦しくて苦しくて、もうどうしたらいいのかわからないんです」というようなことを切々と書かれていたりすることがあります。
本当にあまりにもひどい話や厳しい状況で、読んでいるだけで胸が苦しくなるほどの、つらいお話だったりすることもあります。
そして、たいていそういう書き込みは「乳がんと直接関係のない話を長々と書いてしまってごめんなさい」としめくくられています。
でも、そういう時、そういう時にこそ、私はこの掲示板をやっていてよかったなと思うのです。それは決して「関係ない」話なんかじゃないと思うのです。
「関係ないことを書くのは迷惑になる」という良識を持ちながらも、それでも書かずにはおれなかったその人の、どうしようもなく苦しい気持ち。家族や身近な友人にも、誰にも言えない胸のうちを、ここでなら思い切って吐き出してみよう、と思ってくれたのであれば、そういう場所を提供できてよかったと思うのです。私には何もできないけれど、なんと言って励ましたり助言したらいいのかもわからないけれど、その人が書くことで、ほんの少しでも気持ちが軽くなってくれたならいい。
私だけでなく、たぶん多くの方は、返信の書き込みをしなくても、心の底からその人に「がんばってね」「負けないでね!」ってエールを送っていると思います。自分に似たところ、重ねあわせる部分があれば、その気持ちの強さもひとしおでしょう。
インターネットの中は、相手の顔が見えないバーチャルな空間ですが、そんなとき、掲示板の上(中?)に、お互いがお互いの気持ちを支えあう暖かいエネルギーが流れているように実感します。
posted by HANA at 12:27
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2006年08月28日
「乳がんホームページ」というサイト名のこと
今にして思えば、単なる個人の闘病記のサイトに「乳がんホームページ」というタイトルは、ちょっと御大層な感じがしますよね。それに、あまりにストレートな、工夫もオリジナリティもない、つまらないネーミング(笑)
タイトルだけ見たら、しかるべき団体や組織が主催する、もっとちゃんとしたサイトかと勘違いされてしまうかもしれないという危惧もあります。
でも、インターネット黎明期においては、ホームページのタイトルは「○○○のホームページ」というのが定番というか基本形だったのですよ。
サイトの目的も手段も種類も多種多様、星の数ほどあるホームページの中からで、いかにして自分のサイトを見てもらうかとしのぎを削っているような現在とは違って、当時は、ネットの中もアットホームでのんびりした時代でした。
だから、サイト名も、そんなに凝る必要もなかったんですね(笑)
タイトルだけ見たら、しかるべき団体や組織が主催する、もっとちゃんとしたサイトかと勘違いされてしまうかもしれないという危惧もあります。
でも、インターネット黎明期においては、ホームページのタイトルは「○○○のホームページ」というのが定番というか基本形だったのですよ。
サイトの目的も手段も種類も多種多様、星の数ほどあるホームページの中からで、いかにして自分のサイトを見てもらうかとしのぎを削っているような現在とは違って、当時は、ネットの中もアットホームでのんびりした時代でした。
だから、サイト名も、そんなに凝る必要もなかったんですね(笑)
posted by HANA at 15:45
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| 乳がんと私とインターネット
2006年08月24日
トップページのイラストのこと
乳がんホームページのトップページのイラストは私が自分で描いたものです。
ネットで知り合って会った人から「イラストのとおりですね!」と言われたことがありますが、別に「自画像」というつもりで描いた訳ではありませんでした。
ただ、このイラストには、私の、このサイトに対する「想い」が強く込められている事は確かです。
例えばもし乳がんに関する知識をあまり持っていない人が、自分の胸にしこりをみつけ「私、乳がん?!」「どうしよう!」「死んじゃうの?」って、ドキドキしながら、インターネットで恐る恐る「乳がん」というキーワードを入れて検索したとき・・・
私が最初に知ってほしいと思うことは、病気や治療の情報よりもまず、「乳がんになっても、元気に生きてる人がここにいますよ!」っていうことです。生存率何パーセントというような数字やデータじゃなくて、私という人間が今ここに実際生きている、そのことです。
これから厳しい現実が次々襲ってくるかもしれない。治療やさまざまな困難をひとつひとつ乗り越えてゆかなければならないかもしれない。長い闘いになるかもしれない。
でも、だからこそ、絶望ではなく希望を、恐怖ではなく勇気を、まず最初に自分の中心にしっかりと据えて、その先に進んでほしいと思うのです。
Don't worry, be happy!
私がこのサイトで言いたいことの全ては、この言葉とイラストの笑顔に集約されていると言えるかもしれません。
ネットで知り合って会った人から「イラストのとおりですね!」と言われたことがありますが、別に「自画像」というつもりで描いた訳ではありませんでした。
ただ、このイラストには、私の、このサイトに対する「想い」が強く込められている事は確かです。
例えばもし乳がんに関する知識をあまり持っていない人が、自分の胸にしこりをみつけ「私、乳がん?!」「どうしよう!」「死んじゃうの?」って、ドキドキしながら、インターネットで恐る恐る「乳がん」というキーワードを入れて検索したとき・・・
私が最初に知ってほしいと思うことは、病気や治療の情報よりもまず、「乳がんになっても、元気に生きてる人がここにいますよ!」っていうことです。生存率何パーセントというような数字やデータじゃなくて、私という人間が今ここに実際生きている、そのことです。
これから厳しい現実が次々襲ってくるかもしれない。治療やさまざまな困難をひとつひとつ乗り越えてゆかなければならないかもしれない。長い闘いになるかもしれない。
でも、だからこそ、絶望ではなく希望を、恐怖ではなく勇気を、まず最初に自分の中心にしっかりと据えて、その先に進んでほしいと思うのです。
Don't worry, be happy!
私がこのサイトで言いたいことの全ては、この言葉とイラストの笑顔に集約されていると言えるかもしれません。
posted by HANA at 14:30| 乳がんと私とインターネット
2006年07月13日
乳がんホームページの舞台裏
少し前に私が管理している「乳がん掲示板」に、
> もう、乳がんではないのに、このサイトの充実したコンテンツを保っているのはさぞかし大変だと思いますが、お暇がありあまっているのか、ボランティア精神が旺盛なのか、自己顕示力が人一倍強いのか、そのパワーには圧倒されています。
>
> もちろん、ふつーの患者さんとは温度差が激しいとは思います。これからは、乳がんにはとらわれず、病気以外の趣味をついやすとか、家族と過ごすとか、もっと有効的な時間の使い方をした方がよいのでは?
>
> いつまでも、病気にとらわれるのはよくありませんよ。
> もう、一歩、踏み出しましょう。
こんなことを書かれまして、さすがにちょっと凹みました(笑;)
(すぐに他の方が「応戦」してくださったのは、とてもうれしかったですが)
上記の投稿をされた方はご覧になっていらっしゃらないかと思いますが、もしかして同じようなことを多くの方に思われているのだったら、いやだなあ、と思うので、ここでちょっと言い訳をさせてもらいたいと思います。
まず投稿された方は「もう、乳がんではないのに」と書かれていますが術後10年たっても私は「自分はもう乳がんではない」という風には思えません。
私の場合、早期発見で治療もラクでしたし、治療の副作用も後遺症などもほとんどなく、再発の心配もあまり必要ない状況で10年を過ごしてきました。でも、そんな私でも、いまだに「自分はもう乳がんとは無縁だ」とは思えません。癌という病気は、どんなに軽症だったとしても、治療が成功してその後の経過が良好な人でも、自分が癌を体験したことを忘れて生きる、なんてできないのではないでしょうか。少なくとも私はそうです。もちろん年がら年中、自分の病気のことを考えてクヨクヨしているわけではありませんが、心のどこかにはいつも多少なりとも不安や恐怖は存在しつづけるものだと思います。でもそれは決して「いつまでも病気にとらわれている」ということでは無いと思います。
それから、私がサイト運営を精力的に行っているように見えるのだとしたら、それには理由があります。
1つには、私は職業がWeb製作者だからです。乳がん発覚当時はシステムエンジニアとして会社勤めをしていましたが、術後しばらくして退職し、フリーでWeb制作の仕事をするようになりました。つまりホームページの制作や運営にかかわる仕事です。
ですから、ホームページの更新や運営は、わたしにとっては仕事の延長線で、ごく日常的な行為のひとつであるといえますし、自分のホームページ運営での経験が仕事のヒントになることも多く、最近はアフェリエイト広告で多少の収益もありますから、言ってみれば趣味と実益を兼ねているといえるのかもしれません。もちろん営利目的でサイトを運営しているわけではありませんが。
もう1つ。最近は結構頻繁に更新をしているように見えるかもしれませんが、更新しているのは、だいたい「ニュース」「イベント」「本」「リンク」ばかりです。この部分は実は、特に苦労して情報を集めているということではなくて、自然に入ってくる情報をただ掲載しているだけ、という感じなのです。
これについては、私は6年ほど前から朗読(音訳)ボランティアをしておりまして、私が所属しているグループは視覚障害者向けに新聞の医療記事を朗読してテープ録音する作業をしています。この為にいつも医療記事を集めていますので、自然に乳がんに関する最新の情報も集まります。掲載するニュースに読売新聞のものが多いのは、私が音訳しているのが読売新聞の医療記事だからです。
・・・というわけで、私は「もう、乳がんではないのに/いつまでも乳がんにとらわれて」いる訳ではありませんし、「お暇がありあまっている」訳でもありませんし、私なりに「有効的な時間の使い方」をしているつもりです(笑)
一時期は確かにサイトを続けていくことが、とてもしんどく感じることがありましたが、最近は仕事やボランティアのひとつとして、割り切って淡々とこなせるようになりました。「淡々とこなす」などというとなにやら冷たい感じがしますけれども、それくらいの距離感でないと精神的にしんどくなってくるのも確かなのです。
最近は掲示板にもあまり書きこみをしませんし、個人的な日常生活のことなどはあまりホームページには掲載してきませんでしたので、来訪者の方の中には私のことを単なる「管理人」としか思っていない方もいるのかもしれません。
でも私としては、いつまでも、同じ病気の仲間としてホームページにかかわっているつもりです。だから「がんばれ」ではなく「一緒にがんばりましょうね」そして「もっと幸せになろうね」という気持ちなんですヨ。
> もう、乳がんではないのに、このサイトの充実したコンテンツを保っているのはさぞかし大変だと思いますが、お暇がありあまっているのか、ボランティア精神が旺盛なのか、自己顕示力が人一倍強いのか、そのパワーには圧倒されています。
>
> もちろん、ふつーの患者さんとは温度差が激しいとは思います。これからは、乳がんにはとらわれず、病気以外の趣味をついやすとか、家族と過ごすとか、もっと有効的な時間の使い方をした方がよいのでは?
>
> いつまでも、病気にとらわれるのはよくありませんよ。
> もう、一歩、踏み出しましょう。
こんなことを書かれまして、さすがにちょっと凹みました(笑;)
(すぐに他の方が「応戦」してくださったのは、とてもうれしかったですが)
上記の投稿をされた方はご覧になっていらっしゃらないかと思いますが、もしかして同じようなことを多くの方に思われているのだったら、いやだなあ、と思うので、ここでちょっと言い訳をさせてもらいたいと思います。
まず投稿された方は「もう、乳がんではないのに」と書かれていますが術後10年たっても私は「自分はもう乳がんではない」という風には思えません。
私の場合、早期発見で治療もラクでしたし、治療の副作用も後遺症などもほとんどなく、再発の心配もあまり必要ない状況で10年を過ごしてきました。でも、そんな私でも、いまだに「自分はもう乳がんとは無縁だ」とは思えません。癌という病気は、どんなに軽症だったとしても、治療が成功してその後の経過が良好な人でも、自分が癌を体験したことを忘れて生きる、なんてできないのではないでしょうか。少なくとも私はそうです。もちろん年がら年中、自分の病気のことを考えてクヨクヨしているわけではありませんが、心のどこかにはいつも多少なりとも不安や恐怖は存在しつづけるものだと思います。でもそれは決して「いつまでも病気にとらわれている」ということでは無いと思います。
それから、私がサイト運営を精力的に行っているように見えるのだとしたら、それには理由があります。
1つには、私は職業がWeb製作者だからです。乳がん発覚当時はシステムエンジニアとして会社勤めをしていましたが、術後しばらくして退職し、フリーでWeb制作の仕事をするようになりました。つまりホームページの制作や運営にかかわる仕事です。
ですから、ホームページの更新や運営は、わたしにとっては仕事の延長線で、ごく日常的な行為のひとつであるといえますし、自分のホームページ運営での経験が仕事のヒントになることも多く、最近はアフェリエイト広告で多少の収益もありますから、言ってみれば趣味と実益を兼ねているといえるのかもしれません。もちろん営利目的でサイトを運営しているわけではありませんが。
もう1つ。最近は結構頻繁に更新をしているように見えるかもしれませんが、更新しているのは、だいたい「ニュース」「イベント」「本」「リンク」ばかりです。この部分は実は、特に苦労して情報を集めているということではなくて、自然に入ってくる情報をただ掲載しているだけ、という感じなのです。
これについては、私は6年ほど前から朗読(音訳)ボランティアをしておりまして、私が所属しているグループは視覚障害者向けに新聞の医療記事を朗読してテープ録音する作業をしています。この為にいつも医療記事を集めていますので、自然に乳がんに関する最新の情報も集まります。掲載するニュースに読売新聞のものが多いのは、私が音訳しているのが読売新聞の医療記事だからです。
・・・というわけで、私は「もう、乳がんではないのに/いつまでも乳がんにとらわれて」いる訳ではありませんし、「お暇がありあまっている」訳でもありませんし、私なりに「有効的な時間の使い方」をしているつもりです(笑)
一時期は確かにサイトを続けていくことが、とてもしんどく感じることがありましたが、最近は仕事やボランティアのひとつとして、割り切って淡々とこなせるようになりました。「淡々とこなす」などというとなにやら冷たい感じがしますけれども、それくらいの距離感でないと精神的にしんどくなってくるのも確かなのです。
最近は掲示板にもあまり書きこみをしませんし、個人的な日常生活のことなどはあまりホームページには掲載してきませんでしたので、来訪者の方の中には私のことを単なる「管理人」としか思っていない方もいるのかもしれません。
でも私としては、いつまでも、同じ病気の仲間としてホームページにかかわっているつもりです。だから「がんばれ」ではなく「一緒にがんばりましょうね」そして「もっと幸せになろうね」という気持ちなんですヨ。
posted by HANA at 18:49| 乳がんと私とインターネット
2006年07月06日
10年目の私
私はもともとはソフトウエア会社でSE(システム・エンジニア)をやってたのですが、乳がん術後に退職し、フリーでWeb制作などの仕事をここ10年ほどやってきました。
最初はとても理想的な毎日と思えました。仕事はコンスタントにあって、でもそれほど忙しくもなく。
ところがここ数年は、仕事のストレスがまた大きくなってきていました。自宅が仕事場なので、ほとんど人に合わず、マイペースでできる仕事とはいえ、最近はメールでの仕事のやりとりが当たり前になってしまったので、レスポンスの速さを要求されるようになってきました。仕事量もどんどん増え、長年の間に、しがらみも増えました。毎朝パソコンを立ち上げると、未処理メールの山にうんざりするようになっていました。
フリーとはいえ、結局、ある取引先の専属のようになってしまっていて、抜けるに抜けられないような状況でした。仕事そのものの負担、不満やストレス。しんどいな、と本気で思い始めたのが3年ほど前だったでしょうか。
でも、なんとか自分をだましだまし、前向きに取り組んできたつもりだったのですが、あるきっかけを機に今年5月、ついに私は、今の仕事を一旦全部手放す決心をしました。
だって今の状況はまるで・・・10年前、乳がんが発覚したときの自分と同じではないか、と思って、ちょっと怖くなったのです。
乳がんがわかったとき、私はどこかで「こんな生活をしていたら癌になってもしょうがないかもね」と納得してしまったところがありました。仕事も会社も大嫌いだったのに、やめるにやめられず、いやいやながらも、収入源だから、やめたら人に迷惑がかかるから、それなりにいい仕事だから、新しいことをまた一からやるのは大変だし、と、無理やり言い訳をして、自分をごまかしていた。
闘病日記に“この病気は私に「立ち止まって人生を考え直しなさい」という神様からのメッセージなのだと思っている。”と書いているけれど、言い方を買えれば、私は、癌というハンマーで神様に頭を殴られるところまでいかなければ、自分で自分を痛めつけるような生活を変えることができなかったのでした。
もう絶対、そんなことはやめよう、って思った。
したいことをして、したくないことはしないで、楽しく生きようって、心に決めた。
それなのに・・・・のどもと過ぎればなんとやら。
いつのまにか、また、同じことをくりかえそうとしていた;
ちょうど今月は乳がんの手術からまる10年の月です。(1996年7月31日が手術した日)
とにかく私は、今月は仕事を一切お休みすることにしました。
10年生き延びた自分へのご褒美とお祝いです。
それにしても、なんて学習能力のない私なのでしょう。
でも今回はハンマーで頭をぶん殴られる前に気づけたから、まだよかったといえるかな(笑)
ロハスがどうの、なんてブログを書いている手前、非常にお恥ずかしいことなのですが、実は私のこのところの毎日はまったく健康的な生活からはかけはなれていました。
ストレス解消のために、酒量は増え、時間がないからと加工食品やジャンクフードを食べることが増え、「本当は健康的な生活をしたい」という理想があるから余計に、そうでない今の自分に対して自己嫌悪がひどく、「これじゃいけない、いけない」って思えば思うほど、それがプレッシャーになって、ますます乱れた生活になってしまっていったようです。
だからここに書けるようなことが、なかったのです;
もし『HANAさんは玄米食べたりして、健康に気をつけた生活をしているから元気なんだ』って思ってた人がいたら、ごめんなさい(笑)
「まったりライフ」は理想で、現実は全く違うものでした。
と、カミングアウトして・・・
これから、ちょっとずつ修復していって、理想と現実のギャップを埋めていきたいと思います。
最初はとても理想的な毎日と思えました。仕事はコンスタントにあって、でもそれほど忙しくもなく。
ところがここ数年は、仕事のストレスがまた大きくなってきていました。自宅が仕事場なので、ほとんど人に合わず、マイペースでできる仕事とはいえ、最近はメールでの仕事のやりとりが当たり前になってしまったので、レスポンスの速さを要求されるようになってきました。仕事量もどんどん増え、長年の間に、しがらみも増えました。毎朝パソコンを立ち上げると、未処理メールの山にうんざりするようになっていました。
フリーとはいえ、結局、ある取引先の専属のようになってしまっていて、抜けるに抜けられないような状況でした。仕事そのものの負担、不満やストレス。しんどいな、と本気で思い始めたのが3年ほど前だったでしょうか。
でも、なんとか自分をだましだまし、前向きに取り組んできたつもりだったのですが、あるきっかけを機に今年5月、ついに私は、今の仕事を一旦全部手放す決心をしました。
だって今の状況はまるで・・・10年前、乳がんが発覚したときの自分と同じではないか、と思って、ちょっと怖くなったのです。
乳がんがわかったとき、私はどこかで「こんな生活をしていたら癌になってもしょうがないかもね」と納得してしまったところがありました。仕事も会社も大嫌いだったのに、やめるにやめられず、いやいやながらも、収入源だから、やめたら人に迷惑がかかるから、それなりにいい仕事だから、新しいことをまた一からやるのは大変だし、と、無理やり言い訳をして、自分をごまかしていた。
闘病日記に“この病気は私に「立ち止まって人生を考え直しなさい」という神様からのメッセージなのだと思っている。”と書いているけれど、言い方を買えれば、私は、癌というハンマーで神様に頭を殴られるところまでいかなければ、自分で自分を痛めつけるような生活を変えることができなかったのでした。
もう絶対、そんなことはやめよう、って思った。
したいことをして、したくないことはしないで、楽しく生きようって、心に決めた。
それなのに・・・・のどもと過ぎればなんとやら。
いつのまにか、また、同じことをくりかえそうとしていた;
ちょうど今月は乳がんの手術からまる10年の月です。(1996年7月31日が手術した日)
とにかく私は、今月は仕事を一切お休みすることにしました。
10年生き延びた自分へのご褒美とお祝いです。
それにしても、なんて学習能力のない私なのでしょう。
でも今回はハンマーで頭をぶん殴られる前に気づけたから、まだよかったといえるかな(笑)
ロハスがどうの、なんてブログを書いている手前、非常にお恥ずかしいことなのですが、実は私のこのところの毎日はまったく健康的な生活からはかけはなれていました。
ストレス解消のために、酒量は増え、時間がないからと加工食品やジャンクフードを食べることが増え、「本当は健康的な生活をしたい」という理想があるから余計に、そうでない今の自分に対して自己嫌悪がひどく、「これじゃいけない、いけない」って思えば思うほど、それがプレッシャーになって、ますます乱れた生活になってしまっていったようです。
だからここに書けるようなことが、なかったのです;
もし『HANAさんは玄米食べたりして、健康に気をつけた生活をしているから元気なんだ』って思ってた人がいたら、ごめんなさい(笑)
「まったりライフ」は理想で、現実は全く違うものでした。
と、カミングアウトして・・・
これから、ちょっとずつ修復していって、理想と現実のギャップを埋めていきたいと思います。
posted by HANA at 22:28
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2006年05月30日
おっぱいの傷
私のおっぱいには乳がんの手術痕のほかに、もうひとつ傷がある。
それは、胸の谷間のあたりにある、レモン型のケロイド状。
赤ん坊のとき(生まれつき?)丸い紫色の痣があり、それを取った痕だ。
私の乳がん体験記に「大学病院など行ったことがない」と書いてあるが、これを厳密にいうなら「物心ついてからは」を前に付け加える必要がある。
痣を手術で切り取ったのか、レーザーか何かで焼いたのか、詳しいことはよく知らない。
女の子なのに胸にこんな色のついた痣があっては、というようなことで取ったとか、取らないとよくないと言われてとったとか、聞いたような聞かないような。。。そういえば、このことについて親から話をきいた記憶があまりない。今も別に聞きたいとは思わない。
紫色ではなくなったので確かに目立たなくはなったが、痕ははっきり残っている。襟元の大きく開いた服や、水着を着たら、ちょっと見えてしまう場所だ。乳がんの傷より、こっちの傷のほうがよっぽど目立つ。
でも、妙齢の大人になってから、この胸の傷跡をはずかしいとか思ったこともないし、とにかくあまり気にしたことがないような気がする。
でも、改めてよく考えてみたら、「全く気にしていない」ということが、かえって不自然に思えてきた。
私はどうも、イヤな出来事を無意識のうちにブロックして記憶から消し去ってしまう「くせ」があるようなのだ。子供の頃の記憶で、うーんとイヤなことであればあるほど、その肝心の部分がすっぽり欠如していることがある。問題の出来事の前後のことはなんとなく覚えているが、肝心のところが、無い。
それで、自分では「あんまり気にしてはいない」などと本当に信じ込んでいるのだが、実はたぶん、潜在意識下ではそのことはちゃーんと覚えていて、表面上押さえ込んでいるだけに、結構それが深いところで自分の今の言動に影響していたりするのかもしれない、なんて思う。だから自分が「気にしていない」と思っているようなことほど、実は結構、トラウマになっていたりするのかもしれない。
胸の谷間の傷についていえば、子供の頃、自分の胸の傷について母親に尋ねて、母親が悲しそうな顔をしたり「痛い思いをさせてごめんね」と、やたら謝られたりしたのではないかと思う。子供心に、自分が胸の傷のことに触れることで母親を悲しませる、罪悪感を持たせてしまうことがわかって、このことには触れてはいけないんだ、と封印してしまったのではないだろうか。
私が乳がんになったとき、母親は「私のせいで(私がそんな体に産んだせいで)ごめんね」というようなことをしきりに言っていた。大人の私は「べつにあなたのせいじゃないわよ」と、母親を慰めることができたけど、子供の頃の私は、ただ黙って封印するしかできなかったのかもしれない。
それは、胸の谷間のあたりにある、レモン型のケロイド状。
赤ん坊のとき(生まれつき?)丸い紫色の痣があり、それを取った痕だ。
私の乳がん体験記に「大学病院など行ったことがない」と書いてあるが、これを厳密にいうなら「物心ついてからは」を前に付け加える必要がある。
痣を手術で切り取ったのか、レーザーか何かで焼いたのか、詳しいことはよく知らない。
女の子なのに胸にこんな色のついた痣があっては、というようなことで取ったとか、取らないとよくないと言われてとったとか、聞いたような聞かないような。。。そういえば、このことについて親から話をきいた記憶があまりない。今も別に聞きたいとは思わない。
紫色ではなくなったので確かに目立たなくはなったが、痕ははっきり残っている。襟元の大きく開いた服や、水着を着たら、ちょっと見えてしまう場所だ。乳がんの傷より、こっちの傷のほうがよっぽど目立つ。
でも、妙齢の大人になってから、この胸の傷跡をはずかしいとか思ったこともないし、とにかくあまり気にしたことがないような気がする。
でも、改めてよく考えてみたら、「全く気にしていない」ということが、かえって不自然に思えてきた。
私はどうも、イヤな出来事を無意識のうちにブロックして記憶から消し去ってしまう「くせ」があるようなのだ。子供の頃の記憶で、うーんとイヤなことであればあるほど、その肝心の部分がすっぽり欠如していることがある。問題の出来事の前後のことはなんとなく覚えているが、肝心のところが、無い。
それで、自分では「あんまり気にしてはいない」などと本当に信じ込んでいるのだが、実はたぶん、潜在意識下ではそのことはちゃーんと覚えていて、表面上押さえ込んでいるだけに、結構それが深いところで自分の今の言動に影響していたりするのかもしれない、なんて思う。だから自分が「気にしていない」と思っているようなことほど、実は結構、トラウマになっていたりするのかもしれない。
胸の谷間の傷についていえば、子供の頃、自分の胸の傷について母親に尋ねて、母親が悲しそうな顔をしたり「痛い思いをさせてごめんね」と、やたら謝られたりしたのではないかと思う。子供心に、自分が胸の傷のことに触れることで母親を悲しませる、罪悪感を持たせてしまうことがわかって、このことには触れてはいけないんだ、と封印してしまったのではないだろうか。
私が乳がんになったとき、母親は「私のせいで(私がそんな体に産んだせいで)ごめんね」というようなことをしきりに言っていた。大人の私は「べつにあなたのせいじゃないわよ」と、母親を慰めることができたけど、子供の頃の私は、ただ黙って封印するしかできなかったのかもしれない。
posted by HANA at 22:56| 乳がんと私とインターネット