――日本の古典に登場する「都鳥」は、現在の和名がミヤコドリである鳥ではなく、ユリカモメを指すとされる。 その根拠は、伊勢物語の「九段 東下り」である。
なほゆきゆきて、武蔵の国と下つ総の国との中に、いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。(中略)さるをりしも、白き鳥の嘴と脚と赤き、しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡しもりに問ひければ、「これなむ都鳥。」と言ふを聞きて、『名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと』とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。――(Wikipediaユリカモメの項より)
さて、ややこしい話をもうひとつ(笑)
ここで「都鳥」がいる川として書かれている「すみだがわ(隅田川)」って、どこのことでしょうか?
「え?隅田川は、今も昔も隅田川じゃないの?」
違うんですね。これが。
この件は、私が最近、最もハマっているテーマなのだが、現在の隅田川と荒川ほか周辺の川の関係は、それはそれはややこしいのだ。
自分の言葉で説明するほどまでに、まだ消化しきれていないので、また引用。
――現在「隅田川」と呼ばれている川は、元々は入間川の下流部であり、1683年(貞享3年)また一説によれば寛永年間(1622年-1643年)までは下総国と武蔵国の国境であった。1629年(寛永6年)の荒川瀬替えにより、荒川の本流となったが、洪水を防ぐ為に明治末期から昭和初期にかけて岩淵水門から河口までの荒川放水路が建設され、こちらが現在「荒川」と呼ばれている。――
(Wikipedia隅田川の項より)→古隅田川
――「荒川放水路」は1965年(昭和40年)に正式に荒川の本流とされ、それに伴い岩淵水門より分かれる旧荒川全体が「隅田川」となった。それまでは現在の千住大橋付近までが荒川、それより下流域が隅田川と区別されていた。――
(Wikipedia荒川放水路の項より)
だから現在、荒川区に荒川は流れていない。
荒川区を流れている部分の隅田川が、昔は荒川だったのだ。