・だとしたら、いつ頃、埋め立てたのかな?
・埋め立ての技術って、どのくらい昔からあったんだろう?
次々疑問がわいてきた。それが発端となって、いろんなことを調べはじめたら、ハマってしまった。
月島の埋め立てがはじまったのは、明治25年くらいだそうだ。
「へー、そんな昔から埋め立ての技術ってあったんだ」とびっくりした。
もともと佃島や石川島があったところに、月島をつけたしたのね、と勝手に解釈したが、
佃に渡しがあった
という本によれば、なななんと、「天正十八年(1590年)、摂津国西成群佃村の某一族が、江戸へ下り、幕府より鉄砲洲東の干潟百間四方を埋め立て、佃島と名づけてそこに住むことを許された」という説があるそうだ。
ええー、それじゃ、まるきり何も無い海の中にまず佃島が埋め立てで作られたってこと??
400年前に?!
東京の地名がわかる事典
を読むと、当時の記録に「江戸城は海岸の波打ち際にあり、いたるところが葦が生い茂る湿地」というように書かれているそうで、つまり東京てところは、ほとんど埋め立てでできた都市だったんですね。へええ〜。
地理や歴史に‘うとい’私には、驚きの連続!
イモズル式に興味が展開していって、とまらない。
切絵図・現代図で歩く江戸東京散歩
古地図と現在の地図の対比がわかるようになっている本もいろいろ出ている。これは見ているだけで、ほんとに楽しい。
「古地図で楽しむ鬼平の世界」なんていうコーナーもあり。
佃島のとなり石川島には「人足寄場」(更生施設みたいなもの?)があったが、それは鬼平(長谷川平蔵)が、老中・松平定信に提案して作られたそうだ。
有楽町マリオンの辺が「南町奉行所」だったって、知ってました?
では、「北町奉行所」は?
・・・知っているからといって何の役にもたたない「東京トリビア」が増えていく今日この頃(笑)
![]() | 切絵図・現代図で歩く江戸東京散歩 安田 就視、わたなべ こういち 他 (2002/06) 人文社 |
