それは、胸の谷間のあたりにある、レモン型のケロイド状。
赤ん坊のとき(生まれつき?)丸い紫色の痣があり、それを取った痕だ。
私の乳がん体験記に「大学病院など行ったことがない」と書いてあるが、これを厳密にいうなら「物心ついてからは」を前に付け加える必要がある。
痣を手術で切り取ったのか、レーザーか何かで焼いたのか、詳しいことはよく知らない。
女の子なのに胸にこんな色のついた痣があっては、というようなことで取ったとか、取らないとよくないと言われてとったとか、聞いたような聞かないような。。。そういえば、このことについて親から話をきいた記憶があまりない。今も別に聞きたいとは思わない。
紫色ではなくなったので確かに目立たなくはなったが、痕ははっきり残っている。襟元の大きく開いた服や、水着を着たら、ちょっと見えてしまう場所だ。乳がんの傷より、こっちの傷のほうがよっぽど目立つ。
でも、妙齢の大人になってから、この胸の傷跡をはずかしいとか思ったこともないし、とにかくあまり気にしたことがないような気がする。
でも、改めてよく考えてみたら、「全く気にしていない」ということが、かえって不自然に思えてきた。
私はどうも、イヤな出来事を無意識のうちにブロックして記憶から消し去ってしまう「くせ」があるようなのだ。子供の頃の記憶で、うーんとイヤなことであればあるほど、その肝心の部分がすっぽり欠如していることがある。問題の出来事の前後のことはなんとなく覚えているが、肝心のところが、無い。
それで、自分では「あんまり気にしてはいない」などと本当に信じ込んでいるのだが、実はたぶん、潜在意識下ではそのことはちゃーんと覚えていて、表面上押さえ込んでいるだけに、結構それが深いところで自分の今の言動に影響していたりするのかもしれない、なんて思う。だから自分が「気にしていない」と思っているようなことほど、実は結構、トラウマになっていたりするのかもしれない。
胸の谷間の傷についていえば、子供の頃、自分の胸の傷について母親に尋ねて、母親が悲しそうな顔をしたり「痛い思いをさせてごめんね」と、やたら謝られたりしたのではないかと思う。子供心に、自分が胸の傷のことに触れることで母親を悲しませる、罪悪感を持たせてしまうことがわかって、このことには触れてはいけないんだ、と封印してしまったのではないだろうか。
私が乳がんになったとき、母親は「私のせいで(私がそんな体に産んだせいで)ごめんね」というようなことをしきりに言っていた。大人の私は「べつにあなたのせいじゃないわよ」と、母親を慰めることができたけど、子供の頃の私は、ただ黙って封印するしかできなかったのかもしれない。
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