例えば自分は東京に住んでいて、北海道の友達と毎日のようにメールのやりとりをしているとする。まるで身近にいるような感覚で、たあいのないおしゃべりするのが日課になっているとする。その友達が2週間アフリカに旅行に行った。パソコンは持っていかない、携帯もつながらない。
さて、そんな時どんな気持ちになるでしょう?・・・きっと味わったことのある人も多いだろうと思う。
そもそも東京と北海道、遠く離れたところに住んでいて日常そばにいるわけではない。そばにいないという点では、北海道でもアフリカでも変りはない。だけど、相手がいつものパソコンの前にいないという感じは、とても寂しく心細くて、そこにいるべき人がいない―不在―という不思議な感触がある。
でも、相手は電波の届かないところにいるだけで、確かに地球上のどこかにいて、そのうち帰ってくる。いざとなれば、国際電話で話すこともできるし、もし向こうがどこかの町でインターネット・カフェをみつけたらパソコンでやりとりすることもできるし、飛行機にのって会いに行くことだって不可能なわけじゃない。
「いつもの手段で話せないところにいる」というだけであって、相手とつながりが切れたわけではないのだ。相手はちゃんと存在している。
それではもし、その友達が死んでしまったとする。
そばにいないという点では、北海道でもアフリカでも天国でも変りはない。
でも、友達は帰ってこないし、もう会えない。
・・・だけど私は思うのだ。
これもまた「いつもの手段で話せないところにいる」というだけであって、相手とつながりが切れたわけではないのだ、と。
そんなふうに考えると、なんだかちょっと安心する。
そう。彼女は「いつもの手段」の電源を切っているか電波の届かないところにいるだけで、いなくなってしまったわけじゃないんだ。
充電器を持っていくのを忘れちゃったのかもね。
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