私は特定の宗教を信仰しているとか、信心深いというわけではないのだが、どういうわけか昔から「神社仏閣大好き人間」。
旅の目的のメインは神社やお寺が多いし(したがって京都・奈良・鎌倉が大好き)、ふだん街なかを歩いていても、小さな神社やお寺を見つけると、ついふらふらと入っていってお参りをする習癖がある。
そんなふうに、ふらっと立ち寄ったようなときは、特に願い事など何も無いつもりでいても、手を合わせると、とっさに浮かんでくる事柄があったりする。その事柄について「そんなに気にしていないつもりでも、実は結構心配してたんだな」と改めて気付いたりする。
「祈る」とか「拝む」とかいうけれど、私にとってその行為は、神や仏にすがって何かをしてもらおうというよりは、自分が今、心の奥底で本当に望んでいることは何なのかということを「確認」し、そのことに向かって決意を新たにするための儀式(プロセス)のような気もする。
由緒ある大きな神社仏閣に行くと、その荘厳で静謐なたたずまいに、身も心も清められるような思いがする。
それは、そこに神聖な建物や施設があるからというばかりではなく、そもそも、そういう神社仏閣というのは、良い土地、良い気脈(?)の上に建てられているものなので、そこへ行くだけで良い「気」を浴びることができ、「運」がよくなるのだというようなことを読んだことがある。
「なんかこのごろ調子がイマイチだなあ」というときや、「かんばるゾ!」と気持ちを新たにしたいようなとき、私はよく明治神宮へ行く。玉砂利をゆっくり踏みしめて参道を歩いていくと、杜(もり)の霊気が身にしみてくる。拝殿でパンパンと拍手を打つと、自分の中のスイッチが、カチリと切り替わる。
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