2012年10月25日

努力の報酬は努力そのもの

試験に合格するとか、競技で優勝するとか、地位や名誉を得るとか、いろんな「ゴール」がある。

でも、そういうのはみんな他人や社会や常識が作った「仮のゴール」であって、それを達成したからといって、必ずしも自分が幸せになれるものでもないと思う。

何も指標がなければ、どこに向かっていいのか、どれくらい努力すればいいのかもわからないから、そういうゴールを目標にがんばるのはいいことだ。

褒められれば単純にうれしいし、トロフィーやら何がしかの証をもらえることは励みになる。また次に頑張るためのマイルストーンになる。

だけど、そこだけを気にしていたら、本当の満足は得られない気がする。

最大の報酬は、自分が努力したことそのもの。

「精一杯やった」と思える、自分の中の確信。

そのやり方も、人と比べてどうとかではなく、たくさん時間をかければいいというものでもなく、何をどうがんばったかは他人に説明できるようなことでもなく、ただ、自分の中で自分なりに「やりきった」と思えること。

自分が今までと違った見晴らしの場所に立っているのを体感できたこと。

何かと「つながれた」という実感が持てたこと。

他人にはわからなくても、自分だけは知っている。

逆に言えば、その手ごたえさえ感じられたら、他人がくれる「証」なんてどうでもいいのかもしれない。

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posted by HANA at 09:08| 日常・雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月11日

悩む


・・・ また引用デス ・・・

たとえば字が汚いと悩んでいる人は、実はそのヘンの人より、丁寧な字を書いている。
本当に字の汚い人は、自分の字の汚さを本気で悩んでいないから、字が汚い。

たとえば、自分が優しくないと悩んでいる人は、他人から見たら十分に優しい人だったりする。
そういうふうに悩む時点で、実はその人は十分に優しい人だからだ。

・・・

思い悩むということは、その悩みを乗り越えはじめている。
思い悩むということは、その悩みを乗り越えられる器がその人にある。

・・・

「花もて語れ」第五巻 (片山 ユキヲ)より





posted by HANA at 15:25| 日常・雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月04日

シメタ?


・・・ 引用文 ・・・

これは一般的にいえることなのだが、まだそのほとんどが未解明なものをゼロがから解き明かしていく場合、大切なのは、誤りを犯さなかったり、不十分さを含まないことではない。

たとえ解明の途上でいくらかの誤りを犯し、多少の不十分さを含んだとしても、まずはその全体像を大きく把握すべきなのである。

その全体像を踏まえつつ、そのものに関する一つ一つの現象を分析し、相互の関係を明らかにし、各々の全体的な位置づけを確認していく。そして、それらの現象を全体的にそって組み合わせていき、徐々にその実体(現象をもたらすものの実体)を構造的に明らかにしていく。

さらには、その実体にかかわる重要な特性を絞り込んでいき、ついには、その本質的な構造においてとらえ直す。

このような手順において、未解明なものに対して、直接、正面から果敢に肉薄していくこと、これこそが大切なのである。

その途上で、自分の誤りや不十分さ、あるいは、矛盾点に気づいた場合には、それこそ「シメタ!」と思って喜ぶべきである。

なぜなら、そういう誤りや不十分さ、あるいは、矛盾点は、自分の認識が真理(事実)に近づくための絶好の糸口なのだから。

なぜ誤ったのか?なぜ不十分だったのか?なぜ矛盾しているのか? それらの原因を正面から、真摯に、徹底的に究明すること。

そして、究明できたその原因に納得がいったら、素直に、喜んで、大胆に自分の誤りや不十分さを修正していく。

そのような試行錯誤を繰り返しながら、孜々として取り組みつづけ、少しでも自分の認識を真理(事実)に近づけていく。

こういう本当の意味での学問的(愛知的)な取り組みを継続していくことこそが、何よりも大切なのである。

〜 朗読の理論(東 百道) P.24 より 〜

・・・・

誤りや不十分さに自分で気づいてない時よりはマシ、ということだろうか。。。(^^;)

posted by HANA at 18:05| 日常・雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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