2006年10月26日

隅田川と荒川

――日本の古典に登場する「都鳥」は、現在の和名がミヤコドリである鳥ではなく、ユリカモメを指すとされる。 その根拠は、伊勢物語の「九段 東下り」である。

なほゆきゆきて、武蔵の国と下つ総の国との中に、いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。(中略)さるをりしも、白き鳥の嘴と脚と赤き、しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡しもりに問ひければ、「これなむ都鳥。」と言ふを聞きて、『名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと』とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。――
Wikipediaユリカモメの項より)

さて、ややこしい話をもうひとつ(笑)
ここで「都鳥」がいる川として書かれている「すみだがわ(隅田川)」って、どこのことでしょうか?
「え?隅田川は、今も昔も隅田川じゃないの?」
違うんですね。これが。

この件は、私が最近、最もハマっているテーマなのだが、現在の隅田川と荒川ほか周辺の川の関係は、それはそれはややこしいのだ。

自分の言葉で説明するほどまでに、まだ消化しきれていないので、また引用。

――現在「隅田川」と呼ばれている川は、元々は入間川の下流部であり、1683年(貞享3年)また一説によれば寛永年間(1622年-1643年)までは下総国と武蔵国の国境であった。1629年(寛永6年)の荒川瀬替えにより、荒川の本流となったが、洪水を防ぐ為に明治末期から昭和初期にかけて岩淵水門から河口までの荒川放水路が建設され、こちらが現在「荒川」と呼ばれている。――
Wikipedia隅田川の項より)→古隅田川

――「荒川放水路」は1965年(昭和40年)に正式に荒川の本流とされ、それに伴い岩淵水門より分かれる旧荒川全体が「隅田川」となった。それまでは現在の千住大橋付近までが荒川、それより下流域が隅田川と区別されていた。――
Wikipedia荒川放水路の項より)

だから現在、荒川区に荒川は流れていない。
荒川区を流れている部分の隅田川が、昔は荒川だったのだ。
posted by HANA at 15:38| 旧FC2ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月25日

ゆりかもめと「都鳥」

一般に栴檀と呼ばれる木が「栴檀は双葉より芳し」の栴檀ではないという話のように、ややこしい話はいろいろある。

前にmixiの日記にもちょっと書いたのだが、「ゆりかもめ(百合鴎)」と「みやこどり(都鳥)」の話。

私は単純に「ゆりかもめ」の別名が「みやこどり」なのだと思っていたのだが、実は「ゆりかもめ」という鳥と「みやこどり」という鳥は全く違う鳥なのだそうだ。「ゆりかもめ」はカモメ科、「みやこどり」はミヤコドリ科。

それではなぜ「ゆりかもめ」と「みやこどり」が混同されているかというと、中世の日本で「都鳥」と言われていた鳥は、現在の「みやこどり」と言われているミヤコドリ科の「みやこどり」ではなく、「ゆりかもめ」のことを指しているらしいという説があるからなのだ。

おまけに、東京都の都鳥(とちょう=「と」の鳥)はユリカモメなのである。
都鳥(とちょう)は、都鳥(みやこどり)ではないのだ。

・・・書いていても、何がなにやらわからなくなってくる(笑)

ああ、ややこしや〜。ややこしや〜。

Wikipedia:ユリカモメの項
Wikipedia:ミヤコドリの項

それから、私は、荒川の土手なんかによく見かけるカモメっぽい水鳥はみんなこれ(ユリカモメ)だと勝手に思い込んでいたのだが、ユリカモメは冬鳥なので夏はいない。夏に東京の川の河口あたりでよく見かける水鳥は、どうやら「ウミネコ」らしい。

「海猫(うみねこ)」というと、東北の海にいるイメージしかないので、「東京の川にウミネコ?」と思ってしまうが、東北は繁殖地として有名なだけであって、実はウミネコは全国で普通にみられるありふれた鳥なんだそうだ。

かんたんカモメずかん
posted by HANA at 16:52| 旧FC2ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人生いろいろ生協もいろいろ

健康や食について考え始めると、体にいい安全な食品をどこで手に入れたらいいのか、ということが気になってくると思います。

昔から無農薬野菜や自然食品の直販はいろいろありますし、今はネットで簡単に注文できますから、よりどりみどりですよね。

私も過去に、いろいろな通販を試したことがありますが、現在は結局、生協の個別配達に落ち着いています。

ところで「生協」といっても、いろいろあること、ご存知でしたか?
東京では現在、5つの生協があるようです。(コープとうきょう、コープネット事業連合、東京マイコープ、パルシステム連合会、東都生協)

私は最初「生協」といえば1つしかないと思っていたので何も考えずに、ポストにチラシが入っていた「コープとうきょう」に入会しました。それで別に、問題も無く何年か続けていたのですが、ある日、生協の営業の人が家に来て「入会しませんか」と勧めてきたので「うちは、生協はいってます!」と言ったら、「奥さん、生協にもいろいろあるんですよ」と教えられてしまったのです(笑)

でも別に、「コープとうきょう」に不満があったわけではないので、変えるつもりもなかったのですが、カタログとサンプル品をいちおうもらうことにしました。それで、結局、気に入ってしまい、現在の「パルシステム」に乗り換えました。

決め手は、パルシステムの選べるカタログです。ライフスタイルにあわせて3つのカタログから選べ、もちろん途中で変更することもできます。我が家は夫婦2人暮らしなので、量より質にこだわった「kinari」というカタログから注文しています。

このカタログは、「暮らしのクオリティにこだわる大人の行動カタログ」と銘打っているだけあって、単なる商品カタログではなく、食をとおして社会を考えるための読み物にもなっていて勉強になります。商品紹介の写真なども、スーパーのチラシのようなうるささがなく、雑誌のように落ち着いた感じなので、ゆったりした気持ちで楽しみながら品物を選ぶことができます。食の安全に対する取り組みも、かなりのものだと思います。それになんといっても、やっぱり美味しいのです。

以前の私のように、生協がいくつもあるなんて知らなかった人、生協なんてどれも一緒でしょ?と思っている人へ・・・一緒じゃないんですよ〜(笑)

それから、生協といえば、団地やご近所の仲間との共同購入という昔のイメージしかない人へ・・・今は個別配達で玄関先まで届けてくれますし(個配料金がかかりますが)、もちろん毎回の注文はインターネットでできるんですよ。

なんかパルシステムの回し者みたいになってしまいましたけど、実際に実感していることなので、ご参考までに。

パルシステム
posted by HANA at 14:01| お気に入り・おすすめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月22日

栴檀と熊楠

はじめて四国に行ったとき、薄紫色の小さな花をたくさんつけた木を何度か見かけた。

関東あたりでは見たことのない木だったので珍しく、同行者と「なんの木だろうね」と話していたら、地元の人が「オウチだよ」と教えてくれた。

帰ってから調べると「おうち」=「栴檀(せんだん)」とのこと。栴檀といえばすぐ「栴檀は双葉より芳し」という言葉を思い出すが、そのセンダンはビャクダン(白檀)の別名であって、このセンダンの木とは違うのだそうだ。ややこしや。

南方熊楠が臨終の床で「天井に紫色の花が咲いている。医者は呼ばないでくれ。医者が来ればこの美しい花は消えてしまうから。」と言ったいうエピソードがあり、その花がオウチだといわれている。

今年9月に紀州田辺の南方熊楠旧宅を見に行ったのだが、間の悪いことに、庭の手入れの業者が出入りしていて、庭の奥の栴檀の木は見逃してきてしまった。

・南方熊楠旧宅は田辺市の「南方熊楠顕彰館」に隣接。
 場所がわかりにくく、地図を見ても、人に聞いても、なかなかたどりつけなかった私たち。

・「南方熊楠記念館」(南紀白浜)
 敷地全体が植物園みたいですごい!こちらは誰でも迷わず行ける(笑)

・国立科学博物館で開催中の展覧会
 南方熊楠 −森羅万象の探求者−


◆今日の一冊◆

猫楠―南方熊楠の生涯 / 水木 しげる(コミック)

私は、水木しげるが熊楠の一生を描いた「猫楠」と、水木しげるの子供時代の話「のんのんばあとオレ」を連続して読んだので、水木しげると南方熊楠の生涯が頭の中でごっちゃになっているところがある。変人度としては似たようなものか(笑)
posted by HANA at 09:45| 旧FC2ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月21日

ナニャドヤラ伝説

― 10月16日10月18日10月20日と、なんとなく続きものになってます ―

そういえば、この時の東北旅行で、青森のキリストの墓にも行ったのだっけ。

私は高橋克彦の「総門谷」だか「竜の柩」だかで読んで知っていたので「あー、あれね」という感じだったのだが、初めて聞く人は「なんじゃそりゃ?なんで日本にキリストの墓があるんじゃ?!」と、わけがわからないと思う。青森県三戸郡新郷村、旧名、戸来(へらい)村に、キリストの墓があるという、ダ・ヴィンチ・コードも顔負けの伝説があるのだ。
まあ、全国あちこちに、いろんなトンデモ伝説はあるものだから、そんなにびっくりしないか(笑)

ここにキリストの墓があるとすることの理由(こじつけ?)として、たとえば、「戸来(へらい)」という地名は「ヘブライ」が転訛したものだとか、父親を「アヤ」、母親を「アパ」と呼ぶのは、「アダム」「イブ」の転訛したものだとかいろいろあって、その一つに、この地方の盆踊りの謎の文句「ナニャドヤラー、ナニャドナサレノ」は古代ヘブライ語でキリストを讃える歌詞になっているのだというのがあるのだが・・・

この「ナニャドヤラー、ナニャドナサレノ」は、清光館哀史のなかで柳田先生が気にしている例の盆踊りの歌詞と同じものだ。

『なにヤとやれ なにヤとなされのう ―要するに何なりともせよかし、何うなりとなさるがよいと、男に向つて呼びかけた恋の歌である。』

柳田先生の高尚な文章だと、ちょっとわかりにくいが、つまり、女が男に対して「あたしを好きにしていいのよ」という色っぽい呼びかけの言葉だというのが柳田解釈。

「ナニャドヤラ」には他にも諸説があるそうだ。ニャンニャンと聞こえるから「南部の猫唄」とよばれていたともいう。
意味がわからないところで、ますます人をひきつける、不思議な呪文なのかも。

新郷村キリストの墓について (やっぴらんどより)
Wikipedia:ナニャドヤラの項
posted by HANA at 15:47| 旧FC2ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月20日

清光館哀史

10月18日のつづき)
数年前に東北を旅行したとき、小子内(おこない:岩手県)へ行ったことがある。

行ったと言っても、そこを目指して行ったわけではなく、車で国道を走りながら地図を見ていたら「小子内」の地名があったので、ちょっと寄ってみたくなっただけで、結果からいうと、道がわからず「小子内の浜」にはたどりつくことができなかった。

運悪くその時は、車から一歩出たらずぶ濡れになるくらいのどしゃぶりで、同行者の「何か面白いものでもあるというのか?こんなに雨の中わざわざ行く必要があるのか?さっさと先に進もうや」っていうムードの中、無理言って寄ってもらって、小さな漁村の細い道をぐるぐる迷っているうちに、「もういいや」という気になってあきらめてしまった。

まあたどり着けたところで、清光館が見られるわけでもないのだし、あの雨では、浜を散策することもできなかっただろうけれど、せっかく近くまで行ったのに、ちょっと残念だった。

「小子内」で検索したら、こんな文章をみつけた。

―――まさか昔のままの小子内であるとは思っていなかったが、「浜の月夜」 の情景を少しは偲(しの)ぶことが出来るのではないかと私は期待していた。そしてそこを訪ねるような物好きは私のほかにはいないだろうと思っていた。しかしその両方とも見事に外れたのである。(中略)今日この頃も、柳田國男先生 の足跡と浜を慕って、数多くの旅行者が「清光館」跡を訪ねて参ります」 と書いてあるではないか。物好きは私だけではなかったのだ。―――「消えた小子内の浜」(高橋正幸氏「ちょっと長めのエッセイの森」より)

ふうん、結構行く人がいるんだ。私もなんとなく、そんな物好きは自分だけかと思っていた(笑)

いつか機会があれば、また行ってみたい。

柳田國男「浜の月夜」「清光館哀史」全文
posted by HANA at 11:22| 旧FC2ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月19日

爪よ伸びろ!

人間の体ってすごいなあ、と思うことはよくありますが、1つ、こんなことを思い出しました。

私は万年貧血気味のせいか、爪を長く伸ばすことができません。すぐに折れてしまいます。
指も短くて不恰好なので、「手のおしゃれ」なんて、最初からあきらめモード。

そんな私ですが、結婚式の時(だいぶ前の話ですよ;)は、白無垢の袖からのぞく手を少しでもすらっと美しく見せたいと、爪を伸ばすことにしました。結婚式前にエステでお顔や体に磨きをかけたりする人もいますが、私はそういうのは関心なくて、でもなぜか、手だけはちょっとなんとかしたいなと、その時思ったのです。

それで結局、特別な努力をした覚えも無いのだけれど、ちゃんと伸ばすことができたから不思議なのです。
とにかく「伸びるといいな」って思っていただけのような気がします。

式の時はもちろん、他の人は誰も私の手なんか見てもいないだろうけど(笑)、自分としてはささやかな願いが叶って、とてもうれしかったです。密かに。

その時以来、爪を伸ばすことに成功したことはありません。

女優さんが顔だけは汗をかかないとか、スポーツ選手が怪我をしているのに大きな試合に勝つとかいうことがあるように、人間て意外と、自分の体の、コントロールできそうも無い部分までコントロールできるものなのかもしれないと思います。

その潜在能力をうまく利用できたら、ダイエットに成功したり、自分で病気を治したりできるのかな・・・???
posted by HANA at 16:15 | TrackBack(0) | ココロとカラダ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月18日

黒い家・黒い本

10月16日の日記に何気なく「古い下町の黒っぽい町並み」という表現を使ったが、町並みが本当に「黒い色」という訳ではない。イメージとしての「黒」だった。

柳田國男が「清光館哀史」で、清光館のことを「黒い」と表現している。

―――あんまりくたびれた、もう泊まろうではないかと、小子内の漁村にただ一軒ある宿屋の、清光館と称しながら、西の丘に面してわずかに四枚の障子を立てた二階に上がり込むと、はたして古くかつ黒い家だったが、若い亭主と母と女房の親切は、予想以上であった。―――

―――おとうさん。今までの旅行のうちで、一番わるかった宿屋はどこ。
そうさな。別に悪いというわけでもないが、九戸の小子内の清光館などは、かなり小さくて黒かったね。―――

古書の業界用語では「黒い本」というと、単なる中古本ではなく、時代を経た、ある程度価値の在る本をさすらしい。

「黒幕」「腹黒い」などという言葉があるように、「黒い」には「悪い」「汚い」という意味を表すことがあるが、この場合の「黒い」は、そういうネガティブな意味ではなく、むしろ年月を経過したことによって醸し出された味わいを「好ましいもの」とするニュアンスを含んだ表現のような気がする。

ところが、改めて辞書を引いてみても、「黒い」にそんな意味は載っていないのだった。
posted by HANA at 13:04| 旧FC2ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月17日

レジ袋、いらないんだけど・・・

以前「レジ袋を断る」というのを徹底して実行しようとしたことがありました。

マイバック持参で買い物に行けばレジ袋をもらわなくてすむ。そのこと自体は簡単なことに思えます。

ところがそのつもりで行っても、多くのお店は「レジ袋を出すのが当たり前」というルーティンで流れているので、その流れに抵抗するには思いのほかパワー(?)が必要でした。

熟練した店員さん程、ムダのない一連の動作なので、店員さんがレジを打っている間に、財布を出してお金を用意したりなどしていると、はっと気づいたときには、もう袋に入れられてしまっていたりします。

「あ、しまった。タイミングを逃した。」と反省して「今度こそは、いりませんて言うぞ!」と思っても、買い物の時にいつもそのことばかり考えている訳にもいかず、失敗の連続(笑)

スーパーなどでは、レジ袋を断る毎にスタンプを押してくれ、溜まると特典がある、なというサービスをしているところがあったり、コンビニでも必ず「袋は必要ですか」と先に声をかけてくれるところもあり、そういう場合はラクなのですが、その時1ヶ月ほど実行してみた私の感じとしては、レジ袋を断るために、それなりの意志と注意力を要する店のほうが大多数だったのです。それで、挫折してしまいました。

買い物の度に「今日こそレジ袋断るぞ!」っと、気合を入れてでかけなくちゃならないなんて、疲れてしまいますもん(笑)

基本的にもらえないのが当たり前で、もらう方に努力が必要なくらいにならないと、とろくさい私には、ノーレジ袋の実行はしたくてもなかなかできません。。。
posted by HANA at 10:57 | TrackBack(0) | ココロとカラダ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月16日

どっちが「非現実的」?

古い下町の黒っぽい町並みの向こうに、近代的な高層マンション群が立ち並ぶ佃島の風景は、なんとも不思議な感じだ。

去年行ったときは、ショボショボと雨が降っている時だったせいもあって、映画「ブレードランナー」みたい、と思った。ストーリーなんて全く覚えていないんだけど、いつも雨降りでごみごみして薄汚いへんてこりんな近未来の都市の様子がやけに印象に残る、妙な映画だ。ビジュアル的にはちっとも似ていないのかもしてないけど、イメージとしてはその時の佃島は、そんな感じだったのだ。不安をかきたてるような、けだるい哀愁・・・。

今年の夏に行ったときの私は、そびえたつ高層ビル群ではなくて、足元に在る下町の風景の方に違和感を覚えた。「下町の風景」と「高層マンション群」というミスマッチな感じ、対照的なもの、という感じは相変わらずなのだが、そのどちらを「現実的」で、どちらを「非現実的」と感じるかが、変化していた。

高層ビル群を「まるでSF映画みたい」と思うのではなく、下町の風景のほうを、最近よく駅ビルの地下などにある、昭和レトロな町並みを模したレストラン街のように、わざわざ古めかしくこしらえた「作り物の風景」であるかのように感じてしまったのだった。

そこで思い出すのは、大島弓子「四月怪談」に登場する、心優しき幽霊さんのセリフ。

(子供の頃遊んだレンゲ畑がなくなり、団地の建設予定地になっているのを見て落ち込んだ主人公に向かって)

・・・・・・・・・

キミの住んでる街の駅ふきんはさ 
ボクが生きてるころ(この人は100年くらい前の人物の幽霊) 
それはきれいな 小川のある森だったんだよ

でもさ それを知っているボクが今 
駅ビルや自転車置き場をみると 少し切なくなるけど
キミらにとっては 
生まれたときからあそこにある駅ビルや自転車置き場が 
やっぱり いとしいものになってるんじゃないかな?

ねえ 事を逆にして考えてごらん 今 急に 
駅ふきんが原っぱになったとしたら
きっと キミは なき自転車置き場をいたむよね 

・・・・・・・・・

私は高層ビル群と、黒い下町の風景、どっちをいたむのだろうか?

もしかしたら、下町の風景の向こうに高層ビル群が立ち並ぶ、
この一見ミスマッチなものが1つのフレームの中におさまる風景こそが、
いまの時代の風景なのかも。



ブレードランナーの原作

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
浅倉 久志、フィリップ・K・ディック 他 (1977/03)
早川書房
posted by HANA at 14:11| 旧FC2ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月13日

すり鉢の底から

本の整理をしていたら、杉浦日向子の「ゑひもせす」という文庫本から、新聞の切抜きがでてきた。
1999年8月30日の読売新聞。「時々隠居のすすめ」という杉浦さんのインタビュー記事だ。

わざわざ切り取って、ここにはさんでおいたところをみると、いたく共感したのだろう、私。
そして、今の自分の心境に、またやけにぴったりする。

「肩の力を抜き、たまには周囲の渦巻きから降りてみる。すり鉢の底へ降りると、隠居の位置。そこから見上げると、仕事や家庭、社会が等距離で、真ん中にいる自分を実感できる。それが『時々隠居』。隠居というニュートラルポイントを味わって、トップギアでまた頑張るか、バックするか考えてみるのもいいんじゃないでしょうか。」(杉浦氏談)

それにしても杉浦さん、ずいぶん早く、あっちの世界に「隠居」しちゃったなあ・・・。

杉浦さんといえばNHK「お江戸でござる」に出演し、時代考証家として知られていたけど、「隠居宣言」前は漫画家だったってことを知らない人も結構いるのではないだろうか。「ゑひもせす」は、エッセイとかではなく漫画の初期作品集です。

ゑひもせす 新訂版 ゑひもせす 新訂版
杉浦 日向子 (2005/12/26)
双葉社
posted by HANA at 18:00| 旧FC2ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月08日

手作りコスメ

私はあんまり肌の手入れに熱心なほうではありません。メイクも「身だしなみ」として、しかたなくやっているだけ、という感じ。

自分が小学生の頃から母親が化粧品会社に勤めていたので、家には化粧品がゴロゴロあり、いたずらし放題だったので、逆に興味がなくなったようです。

今は在宅勤務で、メイクをする機会も月に何回かという程度ですし、デパートの化粧品売り場には何年も足を踏み入れていません。このところは通販とか、ドラッグストアの安い化粧品とかばかり。

というわけで、手作りコスメを使うようになったのも、「美容と健康のために化粧品もナチュラルなものを」とか「肌が弱いので市販の化粧品ではトラブルが起きる」などという目的や事情があったわけではなく、「なんか楽しい」「お金もかからず簡単」というようなことからでした。

でも私は年の割には肌がきれいとよく言われます。それは、どうやら若い頃から「肌をいじりすぎなかった」(=美容にお金をかけなかった)お陰らしいですヨ。

【緑茶化粧水レシピ】

私が愛用している手作り化粧水の作り方をご紹介
(美白効果が期待できます)

<材料>
緑茶(煎茶、番茶)
消毒用アルコール(エタノール)
グリセリン

※アルコール、グリセリンは薬局で簡単に入手できます。

<手順>
飲む場合と同じようにお茶を入れます。
1杯目は飲んで、使用するのは2杯目以降のものでも可。
冷ましたお茶、湯のみ茶碗1杯に対し、アルコール茶さじ約5杯、グリセリン茶さじ1〜5杯を混ぜるだけ。保湿感はグリセリンで調整します。

ryokucha2.jpg

<注意事項>
肌の弱い方はご注意。
最初は綺麗な緑色ですが、だんだん茶色になってきます。でも、茶色になっても使用には問題ありません。
湯のみ茶碗いっぱいのお茶って、一般的な化粧品のボトル一本分くらいあります。なので、この分量で作ると1ヶ月では使い切れないくらいたくさんできてしまいます。
せっかくの手作りなので、フレッシュなものを常に使いたいですから、あまりたくさん作り置きしないで、ほんの少量づつ作って使い切るのがよいかと思います。

【手作り化粧品に関する本】
心と肌にやさしい手作りコスメ生活
自然素材で手づくり!メイク&基礎化粧品―自然のめぐみをからだにもらおう
ラベル:美容 健康
posted by HANA at 10:19 | TrackBack(0) | ココロとカラダ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月06日

たらこがやってくる

ある歌が頭にこびりついて離れないときってありますよね。

9月に旅行に行った時、キューピーのCMのたらこの歌がエンドレスで頭をぐるぐる回っていて、頭の中だけならいいんだけど、いつのまにか無意識でくちずさんでしまっていて、それも車の中でだったらまだしも、道の駅のトイレの個室で用をたしながら歌ってしまっている自分にふと気づいたときには、ガクゼンとしました(笑)

やっと忘れた頃には、相方が「たらこの歌ってどんな歌だっけ?」と言って思い出させようとするんです;

あー、書いてたらまた、回ってきた(笑)

面白いサイトをご紹介:(ぜひ音声をONにしてお楽しみください)
たらこをやっつける
posted by HANA at 13:46| 旧FC2ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月02日

江戸城は波打ち際?

夏に、月島にもんじゃを食べに行ったとき、ふと、「ここって、埋立地なのかな」と気になった。

・だとしたら、いつ頃、埋め立てたのかな?
・埋め立ての技術って、どのくらい昔からあったんだろう?

次々疑問がわいてきた。それが発端となって、いろんなことを調べはじめたら、ハマってしまった。

月島の埋め立てがはじまったのは、明治25年くらいだそうだ。
「へー、そんな昔から埋め立ての技術ってあったんだ」とびっくりした。
もともと佃島や石川島があったところに、月島をつけたしたのね、と勝手に解釈したが、

佃に渡しがあった
という本によれば、なななんと、「天正十八年(1590年)、摂津国西成群佃村の某一族が、江戸へ下り、幕府より鉄砲洲東の干潟百間四方を埋め立て、佃島と名づけてそこに住むことを許された」という説があるそうだ。

ええー、それじゃ、まるきり何も無い海の中にまず佃島が埋め立てで作られたってこと??
400年前に?!

東京の地名がわかる事典
を読むと、当時の記録に「江戸城は海岸の波打ち際にあり、いたるところが葦が生い茂る湿地」というように書かれているそうで、つまり東京てところは、ほとんど埋め立てでできた都市だったんですね。へええ〜。

地理や歴史に‘うとい’私には、驚きの連続!
イモズル式に興味が展開していって、とまらない。

切絵図・現代図で歩く江戸東京散歩
古地図と現在の地図の対比がわかるようになっている本もいろいろ出ている。これは見ているだけで、ほんとに楽しい。

「古地図で楽しむ鬼平の世界」なんていうコーナーもあり。
佃島のとなり石川島には「人足寄場」(更生施設みたいなもの?)があったが、それは鬼平(長谷川平蔵)が、老中・松平定信に提案して作られたそうだ。

有楽町マリオンの辺が「南町奉行所」だったって、知ってました?
では、「北町奉行所」は?

・・・知っているからといって何の役にもたたない「東京トリビア」が増えていく今日この頃(笑)




切絵図・現代図で歩く江戸東京散歩 切絵図・現代図で歩く江戸東京散歩
安田 就視、わたなべ こういち 他 (2002/06)
人文社
ラベル:地図 江戸
posted by HANA at 19:03| 旧FC2ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。